【美濃・生産終了】轆轤(ろくろ)を使い、一つ一つ手作りで同じ形状に仕上げています
FORM
HISTORY
ENVIRONMENT
FUNCTION
MATERIAL
※美濃は販売終了しました。
同じ形状、同じ色、五つの異なる陶磁器産地でつくった『THE飯茶碗』。
陶磁器にあまり馴染みがない方にも、土や石、釉薬、仕上げなど、産地それぞれの特長が分かりやすいよう、すべてその産地で生まれる白で仕上げた飯茶碗は、THEの人気商品です。
今回、陶磁器の歴史をさらに紐解き、陶磁器の発展に大きく貢献した茶の湯の文化に深い関わりのある唐津(佐賀県)、備前(岡山県)、美濃(岐阜県)の窯元にご協力いただき、新たな飯茶碗をつくりました。
型は一切使わずに、轆轤(ろくろ)を使い、一つ一つ手作りで同じ形状に仕上げています。
各産地に古くから伝わる、土や釉薬、仕上げ方に倣うことで、より産地ごとの特徴が明確になり、『THE飯茶碗』と合わせて、産地ごとに揃えたり、産地違いで集めたりと、 それぞれの表情を自由に楽しんでいただける飯茶碗です。
※それぞれの産地の特長が表情豊かに出せる仕上げにこだわっているため、窯の中の温度変化や置き方や場所、季節や時期によって、どれも全く同じ焼き上がりにはなりません。
【唐津(佐賀県)】 窯元:中里太郎右衛門窯 朝鮮唐津
「一井戸、二楽、三唐津」。
これは千利休によって大成された茶の湯の世界で古の茶人達が茶碗を格付けして表した言葉です。
茶陶器の名品三指に数えられる唐津焼の起源は諸説ありますが、安土桃山時代に岸岳城城主波多氏の領地で焼かれたことが始まりとされています。登り窯や蹴ロクロなど朝鮮陶磁の技術を導入し、江戸時代には西日本を中心に広く流通しました。
THE飯茶碗「唐津」は、朝鮮唐津の原型を探索することで生まれた飯茶碗です。
人間国宝をも輩出する四百有余年続く名窯・中里太郎右衛門窯の十四代 中里太郎右衛門氏の協力を経て、江戸初期に作られた朝鮮唐津 飯茶碗に倣い、碗の内側に鉄釉、外側に藁灰釉をかけて仕上げました。
江戸時代初期「朝鮮唐津 飯茶碗」 唐津市所蔵
【備前(岡山県)】 窯元:備州窯 田土(ひよせ)/無釉/薪窯
千年以上の歴史を誇る日本六古窯の中でも、須恵器の時代から続く無釉陶の特性を維持継承した備前。
松割りの燃料を用い、釉薬をかけずに陶土をじっくりと焼き締める備前焼は、茶陶としての歴史も古く、室町時代には侘び茶の祖・村田珠光に、和物の代表として取り上げられています。
備前では土が命と言われ、川に流れ出した山土を基とした田土(ひよせ)を、掘り出して三年ほど風雨に晒し、足で踏み手で練り、土室にさらに三年以上保存することによって、粘性や可塑性を強めています。
それぞれの陶工にとって秘伝の土づくりがあるといいます。
THE飯茶碗「備前」は、人間国宝の故山本陶秀氏の発案で開いた備州窯にて、年に一回だけ火を入れる登り窯で焼き上げています。土から作り、手ろくろで成型し、登り窯の炎で焼かれた飯茶碗は、他に類を見ない個々の窯変が特徴です。
※THE飯茶碗「備前」は、登り窯焼成のため他の製品以上に窯変(模様の出方)に個体差が出ます。
【美濃 (岐阜県)】窯元:秀峰 石ハゼ緋色土/総織部
平安時代の須恵器から発展し、千三百年有余の歴史をもつ美濃焼。
鎌倉時代から陶器の生産が始まり、その後、織田信長の経済政策によって大窯が築かれ、一大産地となります。桃山時代には「美濃桃山陶」と呼ばれ、千利休の弟子の大名茶人・古田織部の指導のもと、織部好みの奇抜で斬新な形や文様の茶器などが、唐津から導入された連房式登窯によって量産されました。
THE飯茶碗「美濃」は、一流ホテルや料亭の器を専門に作陶する美濃焼の窯元・秀峰にて、黒織部、青織部、赤織部、志野織部など数ある織部釉の中でも代表的な、緑色の青織部を施しました。
『THE飯茶碗』は、最も人の手に沿いやすく持ちやすい形状を追求した飯茶碗です。
口径は12cm。これは、標準的な大きさの日本人の両手で人差し指と親指を使い、円をつくったときの直径と同じ(①)。つまり、持ったときに自然と手に馴染む大きさです。
そして高さは、その半分の6cmに設定しました(②)。一般に、人差し指と親指(先端から付け根まで)の長さの比率はちょうど2:1とされ、手の向きをどの角度に変えてもこの比率は変わりません。
THE公式ハッシュタグ:#THE_飯茶碗
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